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【女傑でありながら烈女な人物】三国志時代の女性武将:王異 を紹介

三国志のゲームなどで、非常に美しい女性で魅力のある人物。筆者自身も、ゲーム上でありますが、使用人物として三本指に入るほど、思い入れ深いです。そんな、多くのひとから親しまれることの多いであろう王異を、本記事ではご紹介します。

また、本記事は三国志に興味のある筆者の目線で知りたい歴史をまとめています。

王異とは?どんな人物であったのか

中国後漢時代末期~三国時代に実在した、趙昂(夫)の妻である。

性格は、勇猛で忠義・戦術・才知・節操に優れた女傑な女性かつ、理性的で堂々とした女性であったとされる。

また、忠誠心が強く、危機的状況でも降伏することはなく信念を貫き、戦略的判断力・知識・言動にも優れていた。

三国志上で唯一戦場で戦ったことが明確にされ、戦場に行くことが認められている女傑。

女傑:しっかりとした気性と優れた知恵・優れた実行力を備えた女性

烈女:強い信念を持ち、節操を堅く守り行動、気性が激しい女性

中国後漢末期:184年の黄巾の乱から220年の魏の建国までの間


夫の”趙昂”の9つの奇策すべてに参画したとされており、この奇策で趙昂・王異の行動は非常に巧みで忠義にあふれたもので、正史にしっかりと残されている。

当時の女性は戦(いくさ)に出ることはほとんどなかったことから、王異がどれほどの女傑であったかが、うかがえるのではないでしょうか。

必要とあらば非情な決断もでき、機転の効いた行動のできる人物であった。そのため女性でありながら名声は高く、他の国の武将からも彼女を知る者が多くいたとされている。

奇策:誰も思いつかないような、相手の裏を突くような計画

正史:正当なものとして、認められた歴史書をいう


VS馬超との反乱

曹操の手により、父を亡くした馬超は、反曹操軍として「関中連合軍」を韓遂や楊秋らと結成した。

韓遂と楊秋:中国後漢末期~三国時代の武将

関中連合軍と曹操軍は激突するも、曹操軍に軍配!


馬超はその後も、涼州周辺へ攻め込むなど、活動を行っていた。

その際に、西城に居た王異・趙昂は、敵軍(馬超軍)に包囲されてしまう。

王異は、自身の息子である趙月(ちょうげつ)を敵軍(馬超軍)に捕らえられてしまう。

敵は、母である王異を降伏させようと脅すのです。

しかし! 王異は「忠義に背くわけにはいかない」と自らの子の死を選んだ! そして降伏を拒否しました!

この忠義の精神は後世に「烈女王異」として称えられるのです!


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